さよならケネディ大使「いつかまた日本に」 人柄で魅了

写真・図版道下美里さん(右端)と伴走用のロープを握り合いジョギングするケネディ大使=2016年10月29日、福岡市の大濠公園

 トランプ氏の米大統領就任に伴い、オバマ政権で2013年から駐日大使を務めたキャロライン・ケネディ氏(59)が近く退任し、日本を離れる。ジョン・F・ケネディ元大統領の娘という抜群の知名度と親しみやすい人柄で、日本各地で市民に慕われた。

「海外の要人とあって、厳重な警護。それでも市民とのふれ合いを優先する本当に気さくな方でした」。14年9月、大使が山形県米沢市を訪れた日のことを、歓迎委員会委員長を務めた米沢商工会議所会頭の吉野徹さん(67)は、そう振り返る。

米沢といえば、大倹約令を出して破綻(はたん)寸前の藩政を改革した米沢藩9代藩主・上杉鷹山(ようざん)。大使はその鷹山の手ぬぐいを首からかけた姿で秋祭り会場に現れ、警備を制し、集まった市民約3千人に握手などで応じた。

米沢市とケネディ家との関係は、父親の元大統領までさかのぼる。ケネディ元大統領は現役のとき、日本人記者から「最も尊敬する日本人は」と問われ、鷹山の名前を挙げたという。以来、「ケネディ家は米沢にとってキーマン」と吉野さんは言う。

30年ほど前にもケネディ家を招待しようと、吉野さんらが訪米したものの頓挫。念願の訪問になった。

大使は市民を前にしたスピーチで「父は『一人でも世の中を変えられる』とよく言っていた。鷹山ほど端的にそれを言い表した人はいない」と語り、鷹山の名言「なせばなる」と日本語で締めくくった。

ASAHI.COM

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