「全員野球」で23年 報徳・永田監督、今大会で勇退へ
震災当時のメンバーと再会を果たし、永田裕治監督は笑顔を見せた=4日、兵庫県西宮市、吉沢英将撮影
春夏あわせて17回甲子園の土を踏んだ名将が、19日開幕の第89回選抜高校野球大会で勇退する。報徳学園(兵庫県西宮市)の永田裕治監督(53)。母校の指揮をとって23年。「全員野球」の信条を胸に率いたチームで最後となる18回目の甲子園に挑む。
2月末、ノックの打球音とかけ声が響く報徳学園のグラウンド。三塁のポジションには6人の選手が並んだ。選抜開幕は目前だが、新3年生39人は主力に絞らず、全員が同じ練習に参加した。
「『こんな非効率な練習で勝てるものか』と周りから言われるが、全員でするからこそチームは本物の一つになる」と永田さんは力を込めた。そんな思いに至る背景には、報徳学園で過ごした高校時代がある。
1981年夏の選手権大会の優勝メンバーの一人だった。栄光の一方で、打撃練習に参加できない控え選手たちがいた。「どんな気持ちでチームの輪にいたのか」。振り返ると、そんな思いが頭をよぎる。
部員同士の心と心がつながる野球がしたい――。指導者を志し、中京大を卒業後、母校などでコーチを務め、94年4月に監督に。就任当初から、部員に分け隔てなくチャンスを与えた。
指導者として原点になったのは95年1月17日に発生した阪神・淡路大震災の直後にあった選抜大会。監督として初めての甲子園だった。
学校のグラウンドには亀裂が走った。西宮市の自宅マンションも被害を受けたが、バイクで選手の安否確認に回った。選手の自宅や下宿の多くが被害に遭った。「野球どころちゃう」と思った。練習再開は2月上旬。キャッチボールなど1時間ほどの練習だったが、「ボールを持った瞬間にみんな目を輝かせて、野球少年に戻っとった。心からプレーを楽しむ野球の原点を見た気がした」。
わずかな練習で調整も万全ではなかったが、チームは1回戦で北海(北海道)を相手に3点を追う終盤に逆転。1勝を挙げた。「今で言う『神ってた』やな。しんどい環境でも逃げず、全員で戦う野球を続けようと思った」。甲子園で積み重ねた勝利は春夏合わせて20。2002年の選抜では優勝も果たした。
今月4日、震災当時のメンバーら約10人が激励に学校を訪れた。主将を務めた西嶋章行(あきゆき)さん(39)は選手らに「1試合でも多く、監督に甲子園で試合をさせてほしい」と声をかけた。
好選手がそろい、スタッフも育った。引き継ぐにはこの春がいいタイミングだと思った。「甲子園まで連れてきてくれて、今の選手たちには感謝やね」と永田監督。報徳学園は20日の第2試合で多治見(岐阜)と対戦する。「実力的には厳しい戦いになる。でも選手たちが最後まで食らいついて戦ってくれたら、指導者としては、それで十分よ」(吉沢英将)
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