浅田真央さん、3回転半に声をかけるなら?会見一問一答
引退会見する浅田真央選手=12日午前11時34分、東京都港区、西畑志朗撮影
現役引退を表明したフィギュアスケートの浅田真央(26)が12日、東京都内で引退会見を開いた。一問一答は次の通り。
2日前にブログで発表させていただきましたが、改めてご報告いたします。私、浅田真央は選手生活を終える決断をいたしました。長い選手生活は、たくさんの山がありましたが、乗り越えられたのも支えてくださった方やファンの方の応援があったからだと思います。今日は感謝の気持ちをお伝えできればと思い、このような場を設けさせていただきました。
――親しい人への報告はどのような形で?
「少し前、家族や友達に報告しました。みんなお疲れ様、よく頑張ったねと言ってくれました」
――改めて今の心境は?
「今日この場に立った時、これだけたくさんの人がいらっしゃってびっくりした。今は落ち着いています」
――具体的にはいつごろ決心した?
「全日本が終わって全ての結果が出たときに終わったんだなと思いました。でも、日が経つにつれて自分が言ってしまったことは最後までやり通してきたので、やらなきゃいけないんじゃないかという思いが強くてここまで延びてしまいました」
――引退表明後、周囲からかけられた言葉で印象にのこった言葉は。
「発表してからたくさんの人が連絡をくださった。皆さん、お疲れ様っていう言葉をかけてくれた。私自身も選手生活おわったんだなーと思った」
――全日本から今までの思いは。
「やはり自分が復帰してからずっと掲げてきた平昌に出る目標があったので、自分で言ってしまったこと、目標をやりとげなきゃいけないと思っていたので、言ってしまったこととの葛藤はありました」
――初めてスケート靴を履いたのは。
「覚えてないけど、5歳だったので。ヘルメットをかぶって、スキーウェアを着てひじあてをして滑ったのは写真を見て覚えてます」
――その頃の思い出は。
「ちっちゃい頃に、いくつも技があるけど、技ができるようになったときは本当に楽しかった」
――つらかったことは。
「つらかったことはそんなになくて、この道を選んできたのも自分だし自分が望んだ道。つらいと思ったことはないです」
――どのくらいで引退を考えた?
「復帰からは良い形でスタートしたが、練習するにつれて、試合に出るにつれて、ついていけるのかという思いが強くなって、気持ち、体の部分でつらい部分が多くなった。何とか1シーズンは乗り切ったが、2シーズン目は何とか頑張ろうという思いだけ。最後の全日本選手権で、もういいんじゃないかと思った」
――最後の全日本の気持ちは?
「最後になるかという気持ちは、ソチ後の世界選手権ほどではなかった。最後、トリプルアクセルに挑戦して終えられたのは自分らしかった」
――2回の五輪。バンクーバーの思い出は?
「19歳だったけど、若くて、本当に気が強くて、強い気持ちだけで乗り越えた」
――ソチ五輪では素晴らしいフリー。ソチは?
「ソチ五輪はSP(ショートプログラム)が残念な結果だったので、気持ちはつらい試合だった。フリーは最高の演技で終えられた。バンクーバーからの4年間を全て4分間に注げた」
――2度の五輪を振り返って。
「良い経験で良い思い出だった」
――3回の世界選手権優勝。印象に残っていることは。
「世界選手権で金メダルをとったときは、すべて五輪後だった。五輪の悔しさを世界選手権で晴らせた大会だった。最後の世界選手権は、自分の気持ちの中では最後と臨んだ。スケート人生をすべてプログラムにぶつけた試合だったので、最後の世界選手権が思い入れが強かった」
――最も印象に残っている演技は。
「うーん、難しいですね、一つって言うのは難しくて、うーん、でも、やっぱり、ソチのフリーかなと思います。気持ちがすごい今までの試合以上に落ち込んだりつらかった部分もあるけど、あれだけの挽回(ばんかい)の演技ができたこと、五輪だったことが一番よかったのかなと思います」
――山田コーチにはどんな思いがある?
「小さい頃に指導を受けた。スケートの楽しさ、挑戦の楽しさを教わった。スケートだけでなく、いろんなことを教わった」
――佐藤コーチは?
「大人になってから指導を受けた。自分の意志もすごく強いので、先生と話し合いをする機会も多かった。自分の意見も聞いてくれて、静かに見守ってくれていた先生だった」
――今後のプランは。
「まず、すぐ夏にあるのが、ザ・アイスショーなので、そこで選手生活を終えて初めて皆さんの前で滑れるので良い演技を目指して頑張りたい。5歳からスケートを始めて、スケートにお世話になったので、どんな形でもスケートに恩返ししたい。(具体的なプランはこれから?)そうですね」
――浅田さんに憧れた選手がトップ選手になってきている。今後に向けてエールを。
「引退することになったが、スケート界を引っ張ってこられたかなと思う。若い選手がどんどん出てきている。若いパワーで引っ張っていってほしい」
――休養から戻ってきたこの2年間の意味は。
「ソチ五輪のシーズンで世界選手権を終えて、自分が選手を終えていたら、本当に今もできたんじゃないかなと思っていたと思う。望んで復帰をしてチャレンジして出した結果なので、本当に今は何もやり残したことはない。もう一度チャレンジすることができて良かったなと思います」
――フィギュアスケートはどんな存在か。
「うーん。どんな存在ですかね。難しいけど、一言でいうと、やはり人生かなと思います」
――自分を褒めたいところは。
「私は飽きてしまうことが多いんです。はまってしまったらすごくはまるんですけど、すぐに飽きちゃう性格。でも、スケートは5歳から26歳まで続けてこられたので、すごいね、長い間、続けてきたねと言いたい」
――どういうスケート人生だった?
「私の全てがスケート中心の生活だった。私の人生です」
――ファンへ。
「本当にたくさんの人が応援してくれて、良い時も悪い時もあきらめずに応援してくれて、すごく励みになったし、パワーになった。感謝しています。ありがとうございました」
――緊張してますか。
「熱気もすごい、たくさん、のどもかわいて」
――(引退は)思い描いていた形とどうか。
「発表するまで自分の中で実感はなかったけど、改めてここに座って、今までのことを振り返りながら話していると、少しずつ引退するんだなという気持ちがわいてきますね」
――さみしいのか、すがすがしいのか。
「気持ちは晴れやかな気持ちです」
――悔やむことは。
「決断をするにあたって悩みました。でも、やり残したことがあるか考えたらなかったので、それだけ尽くしたんじゃないかと思います」
――今日は白いブラウスに白いジャケット。白い服を選んだ思いとは?
「黒のスーツか白か悩んだ。自分の気持ちとしては、本当に晴れやかなのでこの服を今着ています」
――これまで何度も出てきた言葉は「ノーミス」。完璧を目指す思いとは?
「失敗はしたくないし、練習しているからこそ、誰もがミスはしたくない。自分は試合に強いタイプじゃないので、あえて言っていた」
――トリプルアクセルはどんなものか。
「私は伊藤みどりさんのようなトリプルアクセルが跳びたいと思って、ずっと夢を追ってやってきた。跳べたときはすごくうれしかったし、自分の強さでもあったと思う。その半面、悩まされることも多かった」
――5歳の時にスケートを始めた。今、タイムスリップできたら、5歳の自分にどんな言葉をかけるか。
「頑張ってって。私はこれだけフィギュアスケートをやっていて、たくさんの方に応援してもらえて幸せだなと思いました。大変なこともあったけど、自分に対して、たぶん、エールを送ると思います」
――以前の子供と接している様子が印象に残っている。日本、世界の子供たちにアドバイス、声をかけることがあれば。
小さい頃から本当にスケートが大好きでやってきました。今から始める子、頑張っている子には、スケートを大好きな気持ちを忘れないでねと言いたい。私は子供が大好きなので、以前もスケート教室をやりましたが、また機会があればやりたい」
――トリプルアクセルに声をかけるとしたら?
「難しい……。いやぁ……、『なんでもっと簡単に跳ばせてくれないの?』って感じです」
――支えになったものは。
「自分の目標ですね。それだけじゃないけど、たくさんの応援があったからだと思います。今思いつくのはそれくらいです」
――今年の世界選手権で平昌五輪の日本の出場枠が2に減ったことをどう受け止めた? 引退に影響は。
「平昌に出る目標をやめてしまう自分を許せるのかな、許せないのかなと、過ごしてきて、最後話し合いをして決めたのが2月だったので、世界選手権が影響したわけではなくて、自分自身が最後に決めることですし、自分で決めました。2枠に減ったのは残念なことですけど、2枠を大勢の選手の子たちが争うので、本当にハイレベルな試合になるのではないかなと思います」
――2月に決断して、4月に発表。どういう流れだった?
「いろいろと気持ちの準備もあって、今日に至りました」
――引退を決意するまでに、悩んでいたと。全日本選手権が終わってからの3カ月。どなたが後押ししてくれた?
「家族や友達、知っている人に相談しました。いろんなアドバイスをくれたけど、最終的に決めたのは自分自身。旅行に行ったり、いろいろ今まで行けなかったところに行って、その中で決断しました」
――最終的には自分で決断したか。
「はい」
――長い競技人生。決断を後押しした言葉や、大切にしている言葉は。
「この決断をしてからはたくさんの方が温かい言葉を送ってくださったので、今は本当に晴れやかな気持ちでこの場にいます。感謝の気持ちは忘れずにいたいと思います」
――スケートが日本でブームになり、日本が強豪国になったことに、どう貢献したと思うか。
「私が小さい頃は伊藤みどり選手をはじめ素晴らしいスケーターがいた。私もこうなりたいと思って目指してやってきた。ジュニア、シニアに上がってからは、スケーターそれぞれが強くて魅力がある選手ばかり集まって、刺激しながら切磋琢磨して頑張ってきた。そして、応援してくれる方がいたから、ここまで注目されるスポーツになったんじゃないかと思う。これからも、みんなで高めあって刺激しあいながら頑張ってほしいです」
――選手人生でたくさんの山があったと言った。ソチ五輪はSPからどう立ち直ってフリーにつなげられた?
「SPが終わってからは、本当に日本に帰れないと思ってつらかった。フリー当日の朝も気持ちは切り替わらなかった。大丈夫かなと思って公式練習を終えた。メイクをして、アップをして、リンクのドアを出た瞬間にすごい会場で『やるしかない』という思いが出てきて、ようやくその時にやるしかないと思った」――フリーが終わった瞬間は、どんな気持ちだったか。
「最後のポーズは上を向いていたんですけど、あー終わったー、と思った。それと同時に、良かったという思いがこみあげてきて、涙してしまった。バンクーバーの時も悔し涙を流していたので、泣いてちゃだめだと思って、笑顔にしました」
――違う世界に進むことについて考えていることがあれば。
「新たな一歩だと思っています。でも不安とかは何もなくて、ただただ前にある道を進んでいくだけだと思っています。新たな経験をして、前に進んでいきたい」
――前を向く姿は印象的。前を向く中で、大事にしてきたことは。
「ちっちゃい頃からかわらないけど、一日一日もそうですけど、何かこれをしたいという目標をもってやってきた。目標を達成するという強い気持ちを持ってずっとやってきた」
――一番やりたいことは。
「1、2、3月と時間があったので、旅行にいったり、おいしいものを食べたりすることができました」 ――競い合ってきた金姸児(キムヨナ)選手への思いは。
「私たちは15、16歳ぐらいから一緒に試合に出てきました。お互いに良い刺激を与えながら、もらいながら、ずっとスケート界を盛り上げてきたんじゃないかなと思っています」
――プルシェンコも引退。仲間として、思うことは?
「プルシェンコ選手も引退したということで、私よりも長い選手生活。たくさんの記録を残して、たくさんの人を魅了した。心からお疲れ様と言いたい」
――最後の全日本選手権で「もういいかな」と。どんな気持ちで臨んだ試合だった?
「試合に向かう気持ちは、一つひとつの試合で変わらなかった。常にノーミスの完璧な演技、自信を持って滑ると考えた。終わった時に、完璧ではなかったし、最高の演技ではなかったので、悔しい気持ちもあったと思う。その後、キス・アンド・クライに座って『もういいのかもしれない』と思った」
――(現役を)もういいのかもしれないとは。
「全日本に12歳から出場している。一番残念な結果で終わってしまって。結果も一つ、大きな決断に至るにあたって大きな出来事だったと思っている」
――そこが現在のアスリートの原点か。
「自分でいうのもあれですけど、その時に目標を達成するとこんなにうれしいんだと、また頑張りたいと思えた時でした」
――もし、過去に戻れるなら。
「うーん、いやあ、26年間ですもんね(笑い)。難しい。でも、本当に戻ることはないと思うので、あんまり今、ぱっと答えは出てこないですね」
――平昌までやりたいと思っていたことが決断に時間がかかった原因。今、五輪をどう思う。
「あと1年で平昌五輪ということで、選手の方々はいろんな思いをもって生活している。エールを送りたいです」
――五輪の舞台とは。
「うーん、うーん、やはり、4年に1度ですし、選手である以上はそれを目指して小さい頃からやってきました。出場して、メダルをとれたことはよかったし、五輪は素晴らしい舞台だったなと思います」
――生まれ変わったら、またフィギュアスケーターになりたい?
「うーん、今、こうして26歳までスケートをやって、すべてやりきって、もう何も悔いはないので、もう一度人生があるなら、スケートの道は行かないと思います。(やりたいことは)いろいろありますね。食べることが大好きなので、ケーキ屋さんとかカフェとかレストランだったり、そういうのをやっていたのかなあと思ったりもします」
――自分が言ったことはやり遂げるのがポリシー。誰の教え?
「やはり母かなと思う。こういう性格なので、すごく頑固というか、普段はそんなことないけど、自分が決めたことについては頑固なつもりです」
――ポリシーを貫いた最初は?
「小さい頃に野辺山合宿が毎年あるんですけど、そこで絶対にトリプルアクセルを跳ぶと決めて、降りたのが記憶にある」
――ご結婚のご予定はありますか。
「ご結婚のご予定ですか。ないです。うふふふふ。お相手がいればその方と一緒に帰れたんですけど(笑い)」
「私、愛ちゃんとお友達なので、台湾の方で良い方がいればご紹介していただきたいです。本当に行ってみたい国のひとつが台湾なので、愛ちゃんに案内してもらいます」
――今後、プロスケーターとしても活躍していく予定だと思うが、プロとしてどう見せていきたい。
「一番近くにあるのはザ・アイス。まだプログラムも作っていないけど、エキシビションナンバーを作ります。そこにスケート人生のすべてを注ぎ込めるプログラムを作っていきたいと思います」
――最後に。
「みなさん今日は、どうもありがとうございました。発表してからの2日間は温かい言葉をもらって、晴れやかな気持ちで引退を迎えられました。……スケート人生で経験したことを忘れず、新たな目標を見つけて笑顔で……前に進んで行きたいと思っています。みなさん、応援どうもありがとうございました」
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