米国に行けば上達する、ではない 井上雄彦さんが迫る

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 漫画「スラムダンク」の作者・井上雄彦さん(50)とバスケット選手の対談企画の第12回は、本場米国の高校でバスケを学んだ富樫勇樹選手です。

井上 高校進学のタイミングで米国へ渡ったと聞きました。勇気のいる決断だったのでは。

富樫 NBA(全米バスケットボール協会)を目指しての行動だと思われがちですが、その当時、まったく届かない存在だと考えていたので目標とも思っていませんでした。日本で進学先を探したときに、ここだと思えるところがなかったから米国を選びました。

僕が中学生のときの監督は、実の父親でした。高校の監督にも知り合いが多く、練習試合をさせてもらったり、自宅に泊めてもらったりしました。そういう方々に誘ってもらいましたが、気を遣われるのではと思って、行きづらかった。悩んでいたときに米国行きの話が出たんです。軽い気持ちで行ってみよう、と。向こうで一度も試合に出られないことを覚悟していました。

井上 英語に慣れるためにどんな努力をしましたか。

富樫 昔は本当にシャイで、初対面の人と話すのが苦手でした。米国でも最初は、ちゃんと話せない英語を、自分から切り出すことが恥ずかしくて出来なかった。周りのみんなは僕の発音が面白いみたいで、笑われたり、まねされたり。1年目の途中くらいから、笑われてもいいと思えるようになったんです。むしろ、笑わせてやっているような感覚に。その頃から積極的に話せるようになりました。

井上 バスケでの手応えは?

富樫 やれる感覚は、まったくなかったですね。入学1年目の先発5人は、一番小さい選手でも190センチ以上。210センチ近い選手も2人いた。体の大きさではNBAの選手たちと変わりません。彼らの体の強さ、当たりの激しさが信じられませんでした。

井上 試合に出るチャンスはありましたか。

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