傾いたラーメン店、平らな新天地へ 別れ惜しむ客続々
店舗が大きく傾いていることで知られる和歌山市のラーメン店「まる豊」が今月下旬、老朽化し、立ち退きも求められたため移転する。開店から35年。名物店舗に別れを惜しむ人々が連日訪れている。
「また来たで」。常連客が紀の川沿いの土手の下に立つ小さなラーメン店の引き戸を開けた。カウンターのみで、10人も入れば身動きがとれない。扉は軽い力で閉まる。店全体が約8度傾斜しているからだ。
店主の豊田二郎さん(79)は元々工場で働いていたが、「人の喜ぶ顔が見える商売がしたい」と、40代半ばで転職を決意。終戦直後に建てられた広さ8畳ほどの物置小屋を借りて改装して開業した。
開業5年目で「店、傾いとるやない」と客に言われた。「毎日見ている我が子の身長の伸びがわからないのと同じで、傾きには気づかなかった」と豊田さん。周辺の地盤は軟らかく、前の道路を頻繁にダンプカーが通る。地盤沈下で、当時すでに約5度傾いていた。傾きを理由にわざと器をひっくり返されるなど、つらいこともあった。「自分で選んだ道。同じ店で見返してやりたい」と商売に没頭した。
傾いたカウンターでラーメンをすすると、汁がこぼれるので、客は器の下に割り箸をはさみ、傾きを調節していた。妻明子さん(81)の発案で、建具屋に長さ10センチ、幅3センチほどのヒノキの平らな棒をつくってもらった。店の名物「こぼれん棒」の誕生だ。
ただ、こぼれん棒だけでは、ぐらつきがあり不安定だった。そこに建築業の常連客が傾きを付けた自作の板を持って現れた。「おやじ、これ置いてみい。食べやすいぞ」。カウンターに乗せると、ほぼ水平になった。「平板(たいらいた)」と名付けられた。「傾いたラーメン店」として、二つのグッズとともに1990年代後半の和歌山ラーメンブームにものって一気に有名になった。
「自分の店であって自分の店でない感覚なのよ」と明子さん。客も参加して数々の問題を解決してきたからだ。
しかし、建物が老朽化し、所有者側から立ち退きを求められたこともあり、移転を決意した。移転を前に、全国各地から名残を惜しむ客がやって来る。開業当初から通う引網智順さん(63)は「自分が帰ってくる場が移転するのは悲しい」と言う。
営業は27日までの予定。移転先は現在地から西に約1キロ離れた元喫茶店(和歌山市本町9丁目)。店舗は傾いていない。でも、平板とこぼれん棒を使える席を設けるという。豚骨しょうゆのスープにストレート麺の味は変わらない。豊田さんは「今の店を離れるのはつらいが、まっすぐな新天地でまた一から勝負したい」と話している。(片田貴也、白木琢歩)
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