酷道291号、密林の海に潜った 点線で記される国道

写真・図版残雪で現れた国道291号の道跡=新潟・群馬県境の清水峠付近、朝日新聞社ヘリから、迫和義撮影

 もう、うんざりだった。

新潟県南魚沼市の山中、標高780メートル付近。国道291号をたどり、群馬県境へ向けて歩いているはずなのに、30分は前後左右、上下、あらゆる方向から生い茂る草木をかき分けていた。まるで密林の海を潜っているようで、あてどない。全身から汗が噴き出す。自然に没した道に対し、頭で恨み言を繰り返していた。ニクイ、291。

「脱出しよう」。国道からの脱出なんておかしいが、もはや限界だった。沢音が聞こえる方へ、灌木(かんぼく)につかまり急斜面を落ちるように下った。突然視界が開けた。足元がすっぽり切れ落ちる崖の上に出てしまったようだ。眼下の沢までは8メートルか。登り返すことも下ることもできない。冷や汗なのか、汗の量が増す。カニ歩きで木が生える斜面まで移動し、枝にしがみついた。背中からずり落ち、斜面をズルズルと滑りながら、なんとか沢までたどり着いた。爪の中まで泥だらけになりながら、なんとか下界へ。291、本当にニクイ。

国道291号は、前橋市新潟県柏崎市を結ぶ。手元の地図を広げると、総延長188キロのうち、中央分水嶺(ぶんすいれい)上にある標高1450メートルの清水峠を挟んで30キロは、道筋が実線でなく点線で記されている。どんな道なのか。それを知りたくて登山の装備を整えて踏み込んだものの、あっけなく退けられたのだった。

国道の格に見合わない酷(ひど)い道は、「酷道(こくどう)」と呼ばれることがある。全国に点在する酷道の中でも291号の清水峠越えの区間は、車はおろか人の通行さえ困難で、とりわけ酷い国道とされる。

だが、歴史をさかのぼれば輝かしい時代もあったのだ。

戦国時代上杉謙信の軍勢が、三国峠と並んで関東行軍に頻繁に利用したのが清水越えだった。弓で例えれば弧と弦の関係で、清水越えは谷が深く山は険しいが、越後と上州を最短距離で結ぶ「直路」として、価値が高かった。

しばらく歴史に埋もれた後、再び脚光を浴びたのが1878(明治11)年。大久保利通が東日本各地の築港や河川改修を提言した土木7大プロジェクトの一つに、清水峠越えの開削が挙がった。

完成は7年後。開通式には、内務卿や元老院議員、陸軍中将ら要人に加え、皇族の北白川宮まで参列した。

道の幅は馬車がすれ違えるよう約5メートル。日本海からの湿った空気をもろに受け止める豪雪の谷に敷かれた高規格の道。それがなぜ酷道に……。

別ルートをたどり、清水峠を目指すことにした。

■「この道はもう死んだんだ」

清水峠へ向かうのに、車は頼れない。新潟県南魚沼市の清水集落の少し先で一般車両は通行止めになる。さらに5キロ先までは砂防ダム工事用の舗装路がのびているものの、そこからは登山道となる。

ASAHI.COM

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