伝説の沢村栄治、甲子園初出場決めたスコア 母校で発見

写真・図版京都商時代の沢村栄治(京都学園提供)

 プロ野球草創期に活躍し、今年生誕100年を迎えた伝説の大投手・沢村栄治(1917~44)。京都商業学校(現京都学園高)=京都市右京区=時代の沢村の活躍ぶりを記録したスコアブックが、同高を運営する学校法人で見つかった。夏の甲子園初出場を決めた地方大会のスコアもあり、同高は15、16日の文化祭でコピーを展示する。

スコアブックは、京都学園を運営する学校法人京都光楠学園の事務所に保管されていた。沢村の名が記されたスコアは、1930(昭和5)、31、34年の10試合分。京都・滋賀の代表として甲子園初出場を決めた平安中(現龍谷大平安)との試合のスコアには、「昭和9年8月5日」と書かれている。

この試合で沢村は6番投手で先発出場し、4打数2安打1打点。2本の三塁打を放ったことがわかる。平安中の攻撃が記録された部分は欠損しているが、京商野球部史や当時の朝日新聞記事によると、9回を投げ、被安打1で16奪三振。7―0で勝って甲子園初出場を決めた試合で、投打に活躍していた。スコアの隅には「此(こ)の試合により第20回大朝主催全国中等学校優勝大会(現全国高校野球選手権大会)に京津代表として出場の栄を冠る」とあった。

ほかにも沢村の出身地・三重県での遠征試合や京都・滋賀の学校との練習試合などのスコアもある。沢村が8番二塁手で出場した試合のスコアも残っていた。

京都学園高は15、16の両日の文化祭で、今回見つかったスコアのコピーをパネル展示する。(足立耕作)

〈さわむら・えいじ〉 三重県生まれ。30年に京都商に進み、34年に中退。同年の日米野球でベーブ・ルースら大リーグ選抜から9三振を奪い、注目を集めた。その後巨人に入団し、無安打無得点試合を3度達成するなど活躍したが、44年に27歳で戦死。後年、シーズンで最も活躍した先発完投型の投手に贈られる「沢村賞」ができた。

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