「いてくれるだけでいい」 認知症の夫を支える妻の思い
「恍惚(こうこつ)の人」から「希望の人びと」へ:6(マンスリーコラム)
このコラムも今回が最終回。ぜひ、紹介したい人がいる。
太田正博さんに初めて会った日のことを、私は今も鮮明に覚えている。2005年9月3日、京都駅前のホールで開かれた講演会でのことだった。
「私、バリバリの認知症です」
太田さんは当時56歳。1949年生まれの「団塊の世代」で、長崎県諫早市で暮らしていた。04年夏にアルツハイマー病と知らされ、翌春、「認知症と明るく生きる」をテーマに講演を始めた。
主治医の菅崎弘之さん、作業療法士の上村(うえむら)真紀さんとの、3人による座談風「トリオ講座」。聴衆の質問にも答えるざっくばらんなスタイルは初めてで注目された。
太田さんは長崎県の職員として長年、福祉の仕事をしていたが、50歳ごろから物忘れが多くなった。会議の資料を作れず、コピーもうまくとれない。うつになり休職。クリニックで菅崎院長に出会い、上村さんのデイケアに通い始めた。
トリオ講座で、菅崎医師が「これほど話せるのに、漢字が書けないんですよね」と言うと、太田さんは「もう自分の名前が書けません」。さらに、「お世話されるのはいやだ。できることを奪わないで」と、はっきり語った。
上村さんはケアの理念を話した。
「この笑顔の奥にある心の痛み、悔しさ、つらさを推しはかる。それでも笑うことができる強さに敬意をあらわして、笑い続けられるようなケアを届ける。誠実な仲間として接したい」
86歳女性の言葉
翌月、太田さんが「ものすごく元気になった」というデイケアを訪ねた。
太田さんは最初から元気だったわけではない。社会とつながりたいと願い、まず挑戦した配食ボランティアは、道に迷って挫折。通い始めたこのデイケアで「変わった」と言う。
ASAHI.COM