扶沙子見たか、胴上げだ 星野監督の中日V、妻との誓い
1999年10月1日付朝日新聞より
神宮の夜空に30日、星野仙一監督(52)が舞った。二度目の監督就任から四年。中でもこの三シーズン、ある言葉を胸に、より強く「優勝」を意識してきた。1997年1月31日、ナゴヤドームが初めて選手らに公開された日の朝に、妻扶沙子(ふさこ)さん(享年51)が悪性リンパ腫で息を引き取った。六年半の闘病生活が終わるころ、夫にこんな言葉を残した。「もう一回、胴上げを見て死にたいね」。妻への誓いが天国に届いた。
ヤクルト戦を勝利で飾った瞬間、監督はコーチ陣に肩を押され、選手の輪に加わった。そして、ユニホームのポケットにしのばせた扶沙子さんの写真と一緒に七度宙に舞った。試合中、真一文字に結んでいた口元がようやく緩んだ。
二人が出会ったのは65年の春。岡山県出身の星野監督は明治大学の一年生、東京出身の扶沙子さんは慶応大学文学部の二年生だった。知人の紹介で、神宮球場にまんじゅうを差し入れたのがきっかけだった。
プロ入りを機に、プロポーズされた。扶沙子さんは親しい友人らに、こう語った。「『もう決めた。お前に決めたから』って、私が何も言わないうちに決めちゃって」
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