100年前の護憲運動、内閣倒した 国民の不満、暴動に
立憲政友会の尾崎行雄(右)と立憲国民党の犬養毅は「憲政擁護会」を結成して共闘した=1913年1月ごろ
政府批判のデモや集会は戦後のもの、という印象があるかもしれない。だが日本で民衆運動によって内閣が倒れた最初の例は1913年だ。
陸軍大将の桂太郎が前年末に組織した3度目の内閣に対し、陸軍や長州藩閥、官僚が帝国憲法を無視した政治をしていると、数百数千の人々が国会周辺や日比谷公園で連日、抗議集会で気勢を上げた。スローガンは「憲政擁護・閥族打破」。2月10日には暴動に発展。騎馬警官に蹴散らされた群衆から複数の死者も出た。政府寄りの新聞社が襲撃され、日比谷や銀座などで交番が次々に襲われた。
混乱の責任をとる形で桂内閣は総辞職する。「大正政変」、または「第1次護憲運動」とも呼ばれている。