6千万円の君主の個室、使われず百貨店閉店 小売業の今
平成は、買い物のかたちが大きく変わった時代と位置づけられるかもしれない。右肩上がりの地価を背景に店舗拡大を続けた大手百貨店やスーパーの経営破綻(はたん)が相次ぎ、少子高齢化による市場の伸び悩みが再編を後押しした。一方、店をもたないネット通販は急成長を遂げている。(編集委員・多賀谷克彦)
そごう破綻 土地神話崩壊
千葉県茂原市のJR茂原駅前ビル6階にある市立図書館。東向きの窓から外房の暖かい光が注がれ、自習する高校生が目立った。
このフロアはかつて、茂原そごうのレストラン街だった。閉店から18年。ビルには図書館のほか、学習塾や保険会社の事務所などが入る。エレベーターの扉に刻まれた、そごうの「ストアフラワー」ダリアの模様が数少ない痕跡だ。
1987年のJR外房線の高架化にあわせ、市は駅前再開発ビルの核テナントとして、そごうを誘致した。市は「外房の中核都市」をめざしていた。地元にとって、そごうは駅前活性化の象徴だった。
そごうの元社員が明かす。「バブル期、そごうには全国から再開発案件が持ち込まれた。採算が見込めないものもあったが、日本最大の百貨店グループをめざした水島広雄会長の『鶴の一声』で決まった」。水島氏(1912~2014)とは、60年代から君臨した事実上のオーナーである。
水島氏は担保の研究で法学博士となり、それをビジネスに生かした。出店予定地の土地をグループ会社を通じて買い、そごうの出店で値上がりした土地を担保に、主取引銀行だった当時の日本興業銀行、日本長期信用銀行などから、新店用地を買う資金を調達した。
「地価は必ず上がる」という土地神話に基づくビジネスモデルだった。これに地方自治体や経済界、金融機関が飛びつき、「わが駅前にも百貨店を」と、「水島詣で」が繰り返された。
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