メダル量産の立役者、湯田部長の4年 所属先の壁やぶる
スタンドで観戦する日本スケート連盟の湯田淳スピード強化部長=14日、江陵アイスアリーナ、樫山晃生撮影
21日夜の平昌五輪スピードスケート女子団体追い抜きで金メダルを獲得した高木美帆(23)=日体大助手=らメンバーを特別な思いで見つめる人がいた。日本スケート連盟スピード強化部長の湯田淳さん(45)。所属先ごとではない連盟主導の強化を図るため、国内トップ選手を集めたナショナルチーム(NT)の常設を主導した。そこからメダリストが生まれた。
2014年ソチ五輪で日本勢はメダルゼロに終わった。「革新的な取り組みをしないと世界ではメダルはとれないところまで落ち込んでしまった」。14年4月、連盟の橋本聖子会長から改革を託されたのが、00年から連盟を科学面でサポートしてきた日本女子体育大教授の湯田さんだった。「改革はしがらみのない僕しかできないと思った。壁を打ち破ることが仕事だった」。企業色がないのが強みだった。
これまでのスピードスケート界は企業などの所属先が強化を担い、切磋琢磨(せっさたくま)することで発展を遂げた。だが、近年は医科学データなどが重視される世界の潮流に乗り遅れた。復活をかけ、目をつけたのがNT体制だった。選手を「取られる」ことになる所属先からは反発もあった。「すべては選手のため」。そう粘り強く理解を求めた。
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