雪山登山を支えた「立山かんじき」 最後の職人引退へ

写真・図版立山かんじきを作る佐伯英之さん=富山県立山町

富山県立山町で、雪上を歩くために1千年以上使われてきたとも言われる「立山かんじき」。全国の登山愛好家に根強い人気があるが、唯一の職人が今年いっぱいで引退する。関係者は「富山の登山文化の一つが消える」と惜しんでいる。

雪解けの山で材料確保

立山かんじきは、北アルプス・立山連峰のふもとにある同町芦峅寺(あしくらじ)で、木こりや炭焼き職人らが伝えてきたとされる。1956年の第1次南極観測隊で芦峅寺出身の山岳ガイドが使って有名になり、全国から注文が来るようになった。

佐伯英之さん(76)は、約30年前に立山かんじき作りの家業を継いだ。

かんじき作りは、春に雪が解けた山で、材料のマンサクやクロモジなどの木を伐採するところから始まる。木を鍋で約3時間煮て軟らかくし、U字形に曲げて乾燥させる。その二つを楕円(だえん)形に組み、雪面に刺さるナラ製の「ツメ」を二つ付けて針金と麻縄で縛る。

適度な弾力があって雪面を歩きやすく、値段も5千円前後とアルミ製かんじきの半額程度。佐伯さんによると、使う度に亜麻仁(あまに)油で手入れをすれば20年以上使え、風合いも増すという。

「命預ける道具、大事に」

約40年前には職人約10人が年間約3千足を生産していた。しかし手入れの要らないアルミ製や海外発祥のスノーシューに押され、今は佐伯さんが年間300足ほどを作るだけだ。「雪山で命を預ける道具は、手入れをして大事にするものだと昔から伝えられてきた」と佐伯さんは寂しがる。

佐伯さんも高齢で山に入れなくなり、今年いっぱいでの引退を決めた。ただ、「大事に使ってくれる人たちへの作り手としての責任がある」と、来年以降も修理には応じるつもりだ。

佐伯さんのかんじきを年に約50足販売している富山市の山岳用品店「スポーツのマンゾク」の沢田滋晴社長(68)は「富山の登山文化の一つが消える」と惜しむ。

立山かんじきは、富山県内の一部の山岳用品店やインターネットで購入できる。問い合わせは佐伯さんの工房(076・462・2212)へ。(松原央)

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