義姉「20年声あげていたのに…認めて」 強制不妊訴訟

写真・図版横断幕を掲げて仙台地裁に入る原告の弁護士や支援者たち=2018年3月28日午前9時30分、仙台市青葉区の仙台地裁前

 旧優生保護法に基づき不妊手術を強制された宮城県の60代女性が、同法が違憲だとして全国で初めて国を訴えた訴訟の第1回口頭弁論。

原告の女性を長年支えてきた義姉は、「(旧優生保護法が)明らかな人権侵害だったことを認めてもらいたい」と訴え、この日の法廷に臨んだ。

女性が旧優生保護法の違憲性を問い、1月に全国で初めて提訴したのを機に、与野党を超えて強制不妊手術の被害者への政治解決をめざす動きが広がった。政府が実態調査に乗り出すことになり、国に実態解明や補償を求める意見書を宮城、北海道、三重などの道県議会が相次いで可決。ほかの被害者も提訴する意向を示し、「前には進んでいる。声をあげた意味はあった」と手応えを感じる。

ただ、訴訟では国はあくまで争う姿勢だ。不法行為のあった時点から20年が過ぎると損害賠償請求権が消滅する「除斥期間」の適用を主張する可能性もある。女性は2017年に手術記録が見つかって提訴に踏み切ったが、そのきっかけとなったのは、20年近く手術記録の開示を宮城県に求めながら退けられた別の70代の被害女性のニュースだった。義姉は「20年間声をあげていた人がいたのに、『除斥期間を過ぎた』では納得できない」と憤る。

相模原市の障害者施設で入所者ら46人が殺傷された事件で、優生思想が根強く残っていることを義姉は痛感した。国が簡単に非を認めるとは思っていないが、「障害者はいなくなればいいという考えをなくすために、国が反省し、歴史を繰り返さないことを誓ってほしい」と願う。(山本逸生)

ASAHI.COM

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