「1杯やりてぇなぁ」 父と最後の晩餐、笑って泣いた夜
もうすぐ父が死んでしまうので:5(マンスリーコラム)
「お父さんも若いころは、やっぱ『飲む・打つ・買う』みたいな感じだったすか?」
私の大学時代、お金がなくて実家へよく夕飯を食べに来た男友だち(48)が、病床の父に質問した。2人の再会は二十数年ぶり。場を盛り上げるためなら、家族が眉をひそめるような話もあえて切り出すのが、この人のやり方だ。ベッドに半身を起こした父は、調子を合わせるように照れ笑いで答えた。
「いやぁ、それほどでも(笑)。ただ私も独身時代、確かに女性からよく求婚されましてね。3人ぐらいはいたかな」
は?
思わず父を見た。大学卒業後に就職した東京都内の信用金庫で母(83)と職場結婚した父は、いくつかの店舗で支店長を経験し、定年まで勤め上げた。部下の面倒見が良かったとは聞いたが、女性にモテたなんて話は初めて。「いくらなんでも作り話でしょ」と私が突っ込むと、「なんで今更、娘のお前にうそをつく必要があるんだ?」。父が真顔で反論した。
それもそうだけど――。腑(ふ)に落ちない娘を置き去りに、男たちの雑談のテーマは競馬、マージャン、プロ野球と際限なく広がった。夜の個室にはワッハッハッと大きな笑い声が何度も響いて、私は遠い昔、皆でナイター中継を見ながらビール片手に囲んだにぎやかな食卓を思い出していた。
緩和ケア病棟の個室に
昨春に末期がんと診断され、介護のキーパーソンとなった私の自宅から徒歩数分の総合病院に移ってきた父は、亡くなるまでの約1カ月間、緩和ケア病棟で過ごした。
最初は内科病棟の大部屋。次の緩和ケア病棟には「個室の空きが出たタイミング」で移ることになった。個室の差額ベッド代は1泊約2万円。私たち家族には大きな負担だったが、他に選択肢はなかった。股関節を手術したばかりの母が1人で暮らす一軒家に、足元のおぼつかない末期がん患者の父を戻せるはずもなかった。
父は個室に移ることを心から喜んだ。実は大部屋にいたある時期から「俺の調子が悪いのは、寝ている隙に○○の陰謀でベッドに細工をされているせい」と眉間(みけん)にしわを寄せて訴えるようになっていた。長引く入院生活や病気の進行に加え、認知症も影響していたのかもしれない。それが個室に引っ越すと一転し、「いつでもテレビが見られて、本当にうれしいよ」と穏やかになった。
ただ、医療の中身までガラリと変わったのには驚いた。糖尿病だった父はそれまで毎食前に血糖値を調べられ、インスリン注射を打たれていた。私は「いまのうちに好きなものを」と父が好きなケーキなどをコソコソと差し入れていた。だが緩和ケア病棟に移ると検査はほとんどなくなり、「食事制限なし」と言われた。
でも、父はもう何も食べたがらなかった。悲しかった。
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