資金ショート寸前「飛行機が止まる」 JAL破綻10年
日本航空の旅客機=2009年、羽田空港で撮影
JAL破綻の真相①(全3回)
日本航空が経営破綻(はたん)して10年がたった。国を代表する「フラッグシップキャリア」として長年日本の航空界に君臨した日航の破綻は、国内外に大きな衝撃を広げた。「明日にも飛行機が止まるかもしれない」というぎりぎりの状況下で、政権交代直後の民主党政権の中枢メンバー、官僚、企業再生の専門家らは何を考え、どう動いたのか。当時の関係者の証言から、日航破綻の内幕に迫る。(文中敬称略)
「なんだ、これは」
2009年9月16日、民主党政権が発足したその日、首相官邸は政権交代の異様な熱気に包まれていた。新任閣僚が代わる代わる登壇する就任会見は長引き、国土交通相に就いた前原誠司の会見は翌17日未明にずれ込んでいた。
国交省内で日航問題を担当していた審議官の宿利(しゅくり)正史は、省内のテレビで会見の様子を見ていたが、前原が発した言葉に耳を疑った。
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