結婚式は葬式に変わった 婚約者なくし職を転々、路上へ
名古屋にきたのは43歳のときだった。それまで、関東地方で派遣の仕事を転々としていた。寮はあったが、派遣の身には家賃の支払いが厳しかった。所持金5千円から自転車を買うお金をひねり出し、「トヨタがあるので景気がいい」と聞いた名古屋へ。2日かけてたどりついた。
手配師に紹介され、日雇いの仕事をする日々。偶然、若いころに東京の料亭でともに働いていた先輩と、名古屋駅前で再会した。「何やってるの」。先輩は、自らが営む名古屋の料亭で、親方を務めているという。「困っているなら来いよ」と誘われた。
久しぶりの包丁。それでも体が覚えていた。3万円の日当をもらい、年末など忙しいときには月に20日近く働くこともあった。
「いまは仮の姿で、本当の姿じゃない」
路上で暮らしながら、ずっとそう思っていた。料亭にできる寮に入ることが、「本当の自分」に戻るきっかけになると信じていた。
名古屋で1度、ワンルームのアパートを借りたことがある。糖尿病を患い、路上生活がつらくなったから。暮らしは落ち着いた。しかし、月4万8千円の家賃は、収入が大きく減る料亭の閑散期には大変だった。結局、路上に戻った。
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